🕊️ 前回のお話:第80話「鍵のかけ忘れから始まった、夫婦のすれ違いの話」
今日は、定期の通院日だった。
60日から90日に一度、大学附属病院に足を運ぶ。
もう何年も続いている日常の一コマだ。
特別なイベントではないし、ドラマチックな出来事が起きるわけでもない。
それでも、この病院に来るたび、
ふと立ち止まって、自分の人生を振り返る時間が生まれる。
大きな手術をしたわけでも、奇跡的に助かったわけでもない。
それでも僕は、ここで「第二の命」をもらったと感じている。
今日は、そんな話を備忘録として残しておこうと思う。
病状が急変
2002年あたりで病状が急激に変化した。
もちろん予兆はあった。
でも、僕は大丈夫!
みたいな感覚で仕事中心の日常生活を送り続けた結果、
体調を崩したのだ。
そして2003年、医師が告げた一言、
「あなた、このままだと50歳まで生きられるかどうかわからないよ。ライフスタイルを見直すことで、改善する可能性はあるけど、どうする?」
だった。
治療を決断、そして退職
「人生、太く短く」と思っていたが、
さすがに考えをあらためる事となり、
段階的に治療が始まっていった。
- 2003年の秋に肝生検(かんせいけん)
- 2004年年初から投薬(核酸アナログ製剤の服用)で2週間入院。アレルギー反応や急性増悪が出ないか?慎重に進められ、無事にクリアし、日常生活で毎日服用。
- 2004年秋に退職すると同時に、インターフェロン治療を試みる。この時も2週間ほど入院して、退院後、週3回を半年間継続。
その後は、核酸アナログ製剤の服用と60日ごとの定期採血と診断、
年2回の腹部超音波検査を継続。
近年は、年1回の胃カメラとCT検査(造影剤使用)が追加されている。
肝炎患者の日常
現在の日常生活には、ほぼ支障がないが疲れやすいのは確かなこと。
最も怖いのは、痛いとか痺れるとかの症状が出なくて、
感覚的に全く分からないことだ。
そして、気を付けないといけないことは山ほどある。
- アルコールの摂取禁止
- 喫煙禁止
- 激しい運動は控え、軽い運動が推奨される
- メタボリックシンドロームにならないように心がける
- 疲れを感じたら休息する
- 食事は栄養バランスを考えて摂取だけど、摂取しすぎるとダメな成分とかもあるから考慮する
- 他人への感染対策
挙げたらキリがない。
大きく分けると4つくらいだろうか。
- 他人への感染対策
- 生活習慣
- 定期的な通院と検査
- 家庭内での注意点 ※食事、入浴、トイレなどを区別する必要はないが、血液が付着する可能性のあるもの(歯ブラシなど)は共用しないこと。
肝炎の感染経路と誤解
最近、悲しいと思うことは、
“肝炎は、性行為を通じて感染するケースが少なくなく、
現代ではSTD(性感染症)の一種として認識されている”
という事だ。
感染経路は様々だ。
もちろんSTD(性感染症)も感染経路の一つだが、
肝炎=STD(性感染症)とクローズアップされてしまっていることに
憤りを感じているのだ。
進行性かも?
もっとも厄介だと感じていることは、
僕の症状は「進行性」かもしれないという事。
進行の度合いは遅いかもしれないが、
肝炎→肝硬変→肝臓がんと病状が悪い方に
進んでいくタイプのようだ。
だからといって、悲観したり自棄になったりしているのではない。
肝炎と診断された時も、すんなりと受け入れることができた。
この身体と事実と向き合って生きていくだけ!と割り切っている。
なぜ、このような心持ができるのか?それは、わからない。
気質だったり、性格だったりが影響しているのかもしれない。
正直、わかりませんw
人生の師からの贈り物
考えても無駄?答えが出ないことだと思ってるのは確かだ!
過去を振り返り過ぎず、悔やみ過ぎず…どうなるかわからない未来に対して不安や恐怖心を抱きすぎず、
「今、ここ」に意識を向ける
「今、ここ」に集中する
「今、ここ」に生きる
全ての始まりは「今、ここ」なのだ!
ここに書いた言葉は、我が人生における数名の師からいただいた言葉だ。
この歳になって、少し理解が深まってきたような気がする。
あとがき
肝炎とともに生きることは、
何かを我慢し続ける人生ではない。気をつけることは確かに多い。
制限も、注意点も、山ほどある。それでも僕は、
「不自由だ」と思いながら生きているわけではない。この身体と、事実と、現実と向き合いながら、
ただ「今、ここ」を丁寧に生きているだけだ。過去を悔やみすぎず、
まだ見ぬ未来を怖がりすぎず、
今この瞬間に意識を戻す。それが、僕なりの生き方になった。
いつかまた、この話の続きを書く日が来るかもしれない。
今日は、ここまでにしておこう。

