年の瀬に気づく、手放せない自分

書類と空箱が積み重なった散らかったデスクに、冬の午後光が差し込む様子 ライフログ

🕊️ 前回のお話:第22話「あきらめたこと、つながっていること」


年の瀬が近づくと、家の空気がすこしだけ落ち着きを帯びていく。 どこかで「片づけなきゃな…」と思いながら、手が止まる場所がいくつかある。

たとえば、紙の書類の山。 たとえば、開封した家電の空箱。 たとえば、誰に見せるでもない“こだわり”の数々。

それらはいつも、年末になるたびに僕を立ち止まらせる。


紙の山の前でため息をつく

必要な書類ほど、なぜか行方不明になる。 「この書類だけ見当たらないんだよなぁ…」と独り言を言いながら、 過去の僕が“とりあえずここに置いた”であろう場所を掘り返す。

数日前も、妻に「また探してるの?」と呆れられた。 返す言葉が見つからない。 なにせ、僕自身が一番よくわかっているからだ。

片づけが下手なのではなく、 “後でやろう”が積み重なって、紙の層になっているだけだと。


空箱という名の“希望”

家電を買うと、しばらく空箱を捨てられない。 返品のことを考えて…とか、誰かに譲るかもしれない…とか、 聞こえのいい理由はある。

でも本音を言えば、ただのクセだ。 捨てた瞬間、「万が一故障したら…」と気持ちがざわつく。 妻からは何度も「それ、ただのゴミだからね」と言われている。

確かにその通り。 けど、僕にとっては “何かあったときの保険” という名の安心が詰まっている。

…いや、単に捨てられないだけなんだけど。


こだわりが“小さな頑固”に変わる年齢

最近、自分でも気づき始めている。 若い頃は何とも思わなかった小さなこだわりが、 年齢とともに“手放せないもの”に変わってきたことを。

たとえば、テレビの音量の数字。 たとえば、タオルの畳み方。 たとえば、車のサイドミラーの角度。

本人にとっては深い理由があるようで、 第三者からすれば「どうでもいい」と笑われるやつだ。

妻には毎日のように言われる。 「ほんとに頑固じ〇ぃになったよね」と。

反論したいけど、事実だから何も言えない。


「手放す」と「残す」のあいだで

ふと、帰り道の車の中で考えた。 「結局、僕は何をあきらめて、何を残してきたんだろう」と。

ピアニストも、スポーツ選手も、絵師も、俳優も。 夢見たものはたくさんあったけれど、どれも途中で離れていった。

けれど、手放さずに続いてきたものもある。 美容の仕事。 ブログ。 家族との暮らし。 オペラとの時間。

夢は離れていったけれど、 “今ある日常”はいつの間にか自分のものになっていた。


あとがき

手放せないというのは、悪いことばかりじゃない。 そこには自分の歴史や不器用さ、どうしようもなさの全部が詰まっている。

年の瀬になると、つい焦って片づけようとするけれど、 無理に捨てなくてもいいものもある。

残ってしまう癖も、 捨てられない箱も、 探し物ばかりの毎日も。

それはきっと、僕が僕である証なんだろう。

そんなふうに思えたら、少しだけ気持ちが軽くなった。


📘 次のお話:第24話「小さな旅のあとで」

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