🕊️ 前回のお話:第68話「変わっていないようで、変わっている日」
最近、ふとした出来事に対して
「これは“乱気の年”だからなのかもしれないな」
そんなふうに、関連づけたくなる自分がいる。
信号待ちで予想外の渋滞に巻き込まれたり、
妻と小さな口論が続いたり、
仕事が朝の段取り通りに進まなかったり。
ひとつひとつは些細なことなのに、
去年までとは何かが違う――
そんな感覚だけが、じわじわと残っている。
占いを信じていないつもりで、気にしている
占いを全面的に信じているわけではない。
それでも、バイオリズムや人生のサイクルのような
「大きな流れ」は、どこかで意識してしまう。
2024年は、積み重ねてきたことが形になった年。
2025年は、前半は勢いがありつつ、後半からブレーキがかかった感覚。
そして2026年は「乱気の年」。
露骨に書きたくはないけれど、
家探し、住宅ローン、建築、引き渡し――
振り返ると、確かに流れは重なっている気もする。
だからこそ、
「避けられることは、なるべく避けたい」
そんな慎重さが、以前より強くなったのかもしれない。
悪いことが起きた時ほど、感謝が遠のく
何かうまくいかないことが起きると、
真っ先に浮かぶのは、どうしてもマイナスの言葉だ。
「なんで?」
「どうして?」
「またか……」
平時には
「すべての出来事に感謝」
なんて言葉を、わりと簡単に口にしているのに。
本当に必要なのは、
悪いことが起きた“その瞬間”の感謝なのだと、
頭ではわかっている。
でも、実践できない。
それが、正直な現実だ。
中村天風やニコラ・テスラの言葉の通りに、
現実は、そう簡単には進まない。
だからこそ、盲信はしない。
それもまた、自分なりの自戒なのだと思っている。
「本当の自分」は、ひとつじゃない
最近、久しぶりに
「本当の自分とは何だろう?」
という問いに直面している。
人は、いくつもの仮面をかぶって生きている。
それと同時に、内側には複数の自分がいる気がしてならない。
やさしい自分。
力強い自分。
頼りになる自分。
怖がる自分。
怒る自分。
情けない自分。
大変な局面に立たされると、
「やめとけ、やめとけ……」
と囁く内なる声が、やけにリアルになる。
それでも、問いは消えない。
これは次のステージに進むための試練なのか。
それとも、ただの揺れなのか。
すべてあるのに、渇いている
ふと、欲しいものを並べてみると――
時間の余裕。
ドッグランのある家。
高級国産車や外車。
お手伝いさんがいる暮らし。
でも、落ち着いて身の回りを見ると、
すでにあるものも、確かに多い。
着る服がある。
住む家がある。
食べることに困っていない。
車があり、電気も水もガスも使える。
生活必需品にも困っていない。
すべて、ある。
それなのに、この渇望感は何なのだろう。
感謝と欲求。
相反するものを同時に抱えながら、
人は生きていくのかもしれない。
あとがき
答えは、まだ出ていない。 ただ、こうして立ち止まり、考えているという事実そのものが、 何かの始まりなのだと、今は思っている。

