🕊️ 前回のお話:第96話「鉢増しできなかった冬が終わって、ようやく手を伸ばせた話」
花や木の中で、昔から不思議と惹かれてしまうものがある。
それが、バラとクレマチスだ。
同じ「好き」なのに、この二つはどこか性質が違う。
理由がはっきりしているものと、
理由を探しても見つからないもの。
今回は、その違いについて、少し立ち止まって書いてみようと思う。
幼少期の記憶と植物
子どもの頃、身近に植物はあった。
広い庭というわけではなく、
限られたスペースで、季節の野菜や草花を育てるような環境だった。
トマトやきゅうり、紫蘇。
学校の課題で育てた朝顔やひまわり。
どれも生活の延長にある植物たちで、
特別な「鑑賞対象」というより、
暮らしの一部としてそこにあった。
振り返ってみても、
その頃にバラやクレマチスを育てていた記憶はない。
バラが好きな理由は、たぶんわかっている
それでも、バラに惹かれる理由は、なんとなく想像がつく。
物語の中にあったバラ。
華やかで、強くて、美しくて、
少し影のある世界観。
幼い頃に触れた作品やイメージが、
知らず知らずのうちに刷り込まれていたのだと思う。
だから、バラが好きだと言われると、
自分でも納得できる。
「ああ、たしかに」と頷ける理由がある。
クレマチスは、理由が見つからない
一方で、クレマチスは違う。
なぜ惹かれるのか。
きっかけは何だったのか。
影響を受けた明確な記憶は、どこにも見当たらない。
それなのに、気づけば選んでいる。
苗を見かけると、自然と足が止まる。
思い出そうとしても、理由が出てこない。
もしかしたら、忘れてしまったのかもしれないし、
最初から理由なんてなかったのかもしれない。
ただ、「好き」という感覚だけが、静かに残っている。
理由がある「好き」と、理由のない「好き」
バラは、物語やイメージと結びついた「好き」。
クレマチスは、説明できないまま続いている「好き」。
どちらが正しい、という話ではない。
理由があるから安心できる好きもあれば、
理由がわからないからこそ、深く根を張る好きもある。
クレマチスは、
記憶の奥か、もっと無意識に近い場所で、
何かとつながっているのかもしれない。
あとがき
好きなものを、すべて言葉で説明できる必要はない。
理由がわからなくても、
惹かれてしまうものは、確かに存在する。
バラとクレマチスを育てながら、
自分の中にある「好きの形」も、
少しずつ見えてきたような気がする。
説明できる好きも、
説明できない好きも、
どちらも大切にしていきたい。
そんなことを思った、97話だった。

