成人の日に考えた、大人になるという感覚の話

静かな朝の光が差し込む木のテーブルの上に、ノートとペン、湯気の立つコーヒーカップが置かれている 「日々とぬくもり」

🕊️ 前回のお話:第72話「アフターファイブという言葉が、久しぶりにしっくりきた夜」


2026年1月12日(月)は成人の日だった。
毎年なんとなくニュースで見かける祝日だけど、今年は少しだけ引っかかって、成人式について調べてみた。

そういえば、過去にも調べたことがあった💦
成人式の発祥は埼玉県蕨市。
戦後の混乱期、若者を励ますために始まった「成年式」がルーツだ。

なるほどなぁ…と思いつつ、
その「成人」という言葉が、ふと自分自身に向いてきた。


成人式に出なかった理由

僕自身は、成人式に出席していない。
正確に言えば、出られない立場だった。

美容室に従事していたため、成人を迎えるお客様のお仕度をする側。
式典に参加するよりも、早朝から着付けやセットに追われていた。

当時、母親に言われた言葉を今でも覚えている。

「写真ぐらいは残しておきなさい」

「うん、落ち着いたら1枚くらい撮るよ」
そう答えたまま、結局一度も撮らずに今に至っている。


三度目の成人式という事実

そんな自分が、今年の成人の日を迎えて思ったのは、
もうすぐ三度目の成人式を迎えるんだな、という事実だった。

言い方を変えれば、還暦である。

正直、まったく実感がない。
怖いくらいに、ない。


年齢と感覚のズレ

振り返ってみると、これまでの人生でもずっとそうだった。

小1から見た小6
中1から見た中3
高1から見た高3
18歳から見た25歳

25歳は、なぜかとても眩しく見えていた。
言葉遣いも、仕事も、遊び方も、全部が「大人」だと思っていた。

でも、いざ自分が25歳になったときに感じたのは、
「中身は今までの自分のままじゃん…」という、少し情けない感覚だった。

30歳も、40歳も、50歳も同じ。
想像していた“大人像”とは、いつも少しズレている。


父の年齢、僕の年齢

子どもの頃に見ていた父親は、とても大人に見えていた。
でも、自分がその年齢に近づくにつれ、
中身は案外変わっていないことに気づく。

妻はよく言う。

「おぷっぷも、もうおじいさんよ」

たぶん世間的には、その通りなのだろう。
でも、自分の感覚は相変わらず若いままだ。


あとがき

この先、四回目、五回目の成人式も迎えたいと思っている。 ただ、その頃にはオペラはいないかもしれない。

そう考えた瞬間、胸の奥が少しだけ締め付けられた。

年齢は重なる。
時間は確実に進む。

でも、感覚だけは置いていかれる。
成人の日をきっかけに、そんな当たり前で、少し切ないことを考えた一日だった。


📘 次のお話:第74話「月齢7ヶ月、オペラの変化と「当たり前じゃない日常」の話」


プロフィール
こんにちは、自由きままなライフログを書いている おぷっぷ です。

このブログは、今の僕の人生を言い表す言葉を置いておきます。

「山頂を目指す登山ではなく、森を歩く散策。」

目的地は決まっていない。

ただ、歩く。

風の音に耳を澄ませ、

鳥のさえずりに足を止め、

足元に咲く小さな花を見つける。

昨日は気づかなかった景色が、

今日はなぜか心に残る。

昔の足跡を見つけては、

「あの頃の自分は、ここを歩いていたんだな。」

と、静かに微笑む。

歩くたびに森の景色は少しずつ変わり、

歩くたびに自分も少しずつ変わっている。

だから、同じ道でも、

いつも新しい発見がある。

人生は、

山頂を目指して競い合うものではなく、

自分だけの森を歩きながら、
出会った景色を味わう旅なのかもしれない。

そして、このブログは――

人生という森を歩いて見つけた、小さな景色を残す備忘録。

未来の自分へ。

そして、いつか家族がこの森を歩く日が来たなら、

「あぁ、この人はこんな景色を見ながら生きていたんだ。」

そんなことが少しでも伝わったら、

それだけで十分。
ライフログ「日々とぬくもり」
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