🕊️ 前回のお話:第66話「眠っていたヘルシオと、生活の感覚が戻ってきた話」
生活が戻ってきた、という感覚がある。
でも同時に、戻りきっていないとも思う。
できることが増えた気もするし、
何も手につかない日も、まだ普通にある。
回復したのか、途中なのか。
そのどちらでもあるような、曖昧な位置に立っている。
戻ってきた気もするし、そうでもない日
朝、ちゃんと起きて、身支度をして、
一日の流れを頭の中で組み立てられる日がある。
「あ、今日は動けそうだな」と思える瞬間。
ほんの少しだけど、確かに“戻ってきた”感じがする。
一方で、
予定を立てるだけで疲れてしまう日もある。
何かを始める前に、もう息切れしている日も。
戻ったと思った次の日に、
また振り出しに戻るような感覚になることもあって、
その繰り返しに、少しだけ戸惑っている。
できる日と、できない日のあいだで
以前は、
「できる・できない」をはっきり分けようとしていた。
できない日はダメな日。
できる日こそが通常運転。
でも最近は、その考え方自体が少しズレている気がする。
できる日と、できない日は、
きれいに線を引けるものじゃない。
今日はここまでできた。
昨日より少しだけ進んだ。
それだけでも、十分なのかもしれない。
無理をしなかった日も、
何もしなかったわけじゃない、という感覚。
生活が戻りかけている、という感覚
自炊をしようと思えたこと。
これは、自分の中ではかなり大きな前進だった。
ただ、自炊って簡単じゃない。
買い弁やコンビニ、スーパーの総菜中心だった生活からだと、
そもそも食材もスパイスも揃いきっていない。
帰宅時間は21:00近いし、
疲れている日も多い。
正直、面倒な気持ちが勝つこともある。
それに、
「あのお店の○○が食べたい」
「あのお店の○○さんと喋りながら食べたい」
そんな気分の日だって、普通にある。
自炊しない理由を挙げ始めたら、キリがないwww
それでも、
「自炊しようかな」と思えたこと自体が、
確実に生活へ意識が戻ってきている証拠なんだと思っている。
まだ途中にいる、という話
今、自分で決めていることがある。
それは、無理をしないということ。
流れに身を任せる時期があってもいい。
そう思えるようになった。
備忘録として書いておくと、
「流れに身を任せる」というのは、
何も考えず受け身でいる、という意味ではない。
物事に執着しすぎず、
状況や自然の成り行きを見極めながら、
その中で最善の選択をする、ということ。
主体性を手放すのではなく、
力の入れどころを間違えない、という感覚に近い。
あとがき
完全に戻ったわけじゃない。 でも、確実に止まってもいない。
今はまだ途中。
流れを見ながら、身を任せながら、
できるところからやっていけばいい。たぶんそれが、今の自分にとって一番自然な進み方なんだと思う。

