🕊️ 前回のお話:第89話「外付けSSDで復活したiMac、その後の話」
何気ない日常が幸せだなんて、本当だろうか?
今回は、僕自身が「何気ない日常の尊さ」に気づかされた時の記録だ。
特別なことこそが幸せだと思っていた
幼い頃から20代くらいまで、僕はずっと思っていた。
幸せっていうのは、特別な日にだけ訪れるものだ、と。
- 誕生日
- クリスマス
- 恋人とのデート
- お祝いの席
- 車の納車
非日常の出来事には、たしかに幸福感があった。
「幸せの匂いがする」とでも言えばいいのか、そういう瞬間を追いかけていたのだと思う。
健康は金では買えない
転機は突然やってきた。
30代半ば、肝炎治療のため入院を決めた頃のことだ。
通院中、医師から告げられた一言が今でも鮮明に残っている。
「あなた、このままだと50歳まで生きられるかどうかわからないよ」
その瞬間、頭が真っ白になった。
人生太く短く、なんて言葉をどこかで格好つけていた自分が、急に幼く見えた。
病室の夜が教えてくれたこと
入院生活は、想像以上に心が削られる時間だった。
夜になると、病室の空気が変わる。
同室の患者さんがナースコールを押す。
翌朝、その人のベッドが空になっている。
別の病棟に移ったのか、帰らぬ人となったのか。
直接は知らされないだけに、不安だけが膨らんでいく。
明日は我が身かもしれない。
そんな恐怖と隣り合わせだった。
退院して初めて気づいた「普通」の価値
入院前、僕は考えたこともなかった。
何気ない日常が幸せだなんて。
でも退院して、家に戻ってきた時…
- 布団で眠れること
- 湯船に浸かれること
- 普通にご飯を食べられること
- 家族の声が聞こえること
それだけで、胸がいっぱいになった。
特別じゃない。
でも、その「特別じゃないもの」が、どれほど尊いか。
僕は遅れて気づいたのだ。
感謝は、出来事の後じゃなく日常の中にある
感謝しなさい。
そんな言葉は耳にタコができるほど聞いてきた。
でも本当は、何かをしてもらった時だけじゃない。
- 朝、目が覚めたこと。
- 今日も息をしていること。
- 食事ができること。
小さな当たり前に気づけた時、幸せは静かに積み重なっていく。
あとがき
何気ない日常が幸せか?
たぶん、本当だと思う。
でも僕は、きっとまた忘れそうになる。
だからこうして書いておく。
特別な日じゃなくてもいい。
今日が静かに終わるだけで、それは十分にありがたい日なんだと。

