🕊️ 前回のお話:第100話「教習所の門をくぐった日、もう戻れないと感じた話」と思った話」
エンジンをかける前から、
それは、はっきりとわかっていた。
思っていたより、重い。
数字で知っていた重さでも、
頭の中で想像していた重さでもない。
両足で地面を踏みしめ、
ハンドルを握った瞬間に伝わってくる、
逃げ場のない現実の重さだった。
教習所の朝は、静かだった。
けれど、その静けさの中で、
僕の身体だけが、もう別の世界に入っていた。
「これを扱うんだぞ」
そう言われている気がした。
まだ何も始まっていないのに、
もう引き返せない場所に立っている。
そんな感覚だけが、
じわじわと腕と足に残っていた。
教官の一言が置いていったもの
教官は、特別なことは言わなかった。
声も、態度も、驚くほど淡々としていた。
「まず、重さを知ってください」
それだけだったと思う。
技術の説明でもなければ、
脅しでも、励ましでもない。
ただ、現実を先に渡された。
そんな一言だった。
押す、引く、支えるという混乱
バイクを押す。
たったそれだけの動作なのに、
最初の一歩が、思うように出ない。
動かないわけじゃない。
でも、素直でもない。
重さは、一点に集まる
少し前に出たかと思うと、
次の瞬間、別の方向に力を持っていかれる。
ハンドルを戻そうとすると、
今度は腰に重さが来る。
ほんの少し傾いただけなのに、
重さは一気に増す。
さっきまで全体だったものが、
突然、一点に集まる。
これは、力だけの話じゃない。
身体が先に、そう理解していた。
年齢と身体のズレ
ふと、自分の動きを感じる。
反射で動いていない。
一瞬、考えてから動いている。
昔なら、違ったかもしれない
若い頃なら、
考える前に身体が出ていたかもしれない。
今は違う。
悪い意味じゃない。
でも、確実に違う。
無理をすれば、
無理が返ってくる。
誤魔化せば、
そのまま崩れる。
そんなズレを、
誰かに言われる前に、
自分の身体が教えてくれていた。
重さを消そうとしない
重さは、消えなかった。
軽くもならなかった。
預けると、落ち着く
持ち上げようとするのをやめて、
押さえ込もうとするのをやめて、
ただ、預ける。
すると、
バイクは、ほんの少しだけ落ち着いた。
敵でも味方でもない。
ただ、そこにあるもの。
「扱う」という言葉が、
ようやく輪郭を持ち始めた瞬間だった。
あとがき
この日、僕が最初に教わったのは、 乗り方でも、操作でも、 技術でもなかった。
重さだった。
扱えるかどうかは、 まだわからない。 でも、知らなかった頃には、 もう戻れない。
あの日、越えてしまった境界線の先に立っていたのは、 静かで、逃げ場のない、 確かな重さだった。

