🕊️ 前回のお話:第16話「ページの端に残った声」
夜が静かに降りていた。
ストーブの光が揺れるたび、床にそっと温もりが染みていく。
その温もりに触れながら、オペラは静かに丸くなっていた。
毛布に沈む寝息が、部屋の静けさをやわらかくゆらしている。
テーブルの端には、開きかけのノートとペン。
書きかけの一行が、灯りに照らされて浮かび上がる。
その続きを書くかどうか、しばらく迷っていた。
揺れる灯を見つめて
ストーブの炎は、一定のようでいて、少しずつ形を変えている。
立ちのぼる熱の揺らぎが、壁の色をわずかに変えていく。
その変化を眺めながら、今日の出来事をひとつずつたどっていく。
ペンを走らせた。
インクの匂いが、広がって夜気をゆるめた。
そのとき胸の奥で、小さな灯がひとつ灯った気がした。
思いつくままに言葉を並べていくと、
一日の輪郭が、少しだけはっきりしてくる。
書くという行為は、
過ぎていく時間に、小さな灯をともすことに似ている。
すべてを覚えていなくても、
ここにいた「誰か」と「自分」を、ページの上にそっと残しておける。
ページに落ちる影
ノートの紙の上に、炎の影が揺れている。
文字の線がところどころ濃くなったり、淡くなったりする。
そのムラが、かえって人の気配みたいで、少しおかしくなった。
書きながら、ときどき手を止めて、
今日の自分の顔を想像してみる。
仕事のこと、家のこと、ここには書かなかった細かな出来事。
それらが混ざり合って、「今日」という一日になっていく。
ページの端には、前の日に書いた一行が残っていた。
昨日の自分の文字と、今の自分の文字が向かい合う。
その距離の中に、たった一日ぶんの時間が折りたたまれているのが、不思議だった。
眠りのそばで
足元で、オペラが小さく寝返りを打つ。
耳がぴくりと動いて、またすぐに静かになる。
夢の中で何かを追いかけているのか、
ときどき足先が、空を走るみたいにぴくぴくと動いた。
ページから目を離して、その様子を眺める。
ストーブの灯りが、オペラの毛並みにやわらかく反射している。
その光景だけで、今日が少し報われたような気がした。
ノートをそっと閉じる。
インクの匂いと、コーヒーの残り香と、ストーブの熱。
それらがゆっくりと混ざり合いながら、
夜は、気づかないうちに深くなっていく。
あとがき
揺れる灯は、同じ場所にありながら、
二度と同じ形にはならない。書くことも、きっとそれと同じで、
同じ夜は二度とないからこそ、
ページの上にそっと残しておきたくなるのかもしれない。灯が消えたあとも、
この夜のぬくもりが、どこかで静かに続いていますように。

