🕊️ 前回のお話:第47話「“何もしない”をする日」
最初は、もっと実用的な理由だった。
裏のお宅の木々が元気すぎて、
どうにも「やぶ蚊」が多い。
夏になると、玄関まわりに立つだけで刺される。
これはさすがに困る。
虫よけが目的だったはずなのに
だから僕は、
虫よけになりそうな常緑の木やハーブを探し始めた。
しかも、我が家にはチワワと文鳥がいる。
「虫よけになる」だけじゃダメで、
ペットにとって安全かどうかも重要だった。
オリーブはどうだろう?
いや、虫が多そうでやめた。
ハーブは?
強すぎる香りは大丈夫だろうか。
紫蘇なら安全?
……と、
かなり真剣に調べていたはずだった。
名前を呼んだだけで
そんな中で、
ふと口にした名前があった。
「悠久の約束」
それは、
昔育てていたバラの品種名だった。
記憶が一気に返ってきた
そこから先は、
正直、自分でも驚くほど早かった。
クレマチス。
プリンセス・ダイアナ。
ドクター・ラッペル。
バラ。
サンセット。
グラハム・トーマス。
メアリー・ローズ。
アブラハム・ダービー。
ギー・サヴォア。
名前を思い出すたびに、
記憶も一緒に引っ張り出されていく。
母の植物たち
草花も、次々に浮かんできた。
ポリアン。
ジュリアン。
日日草。
サフィニア。
サンパラソル。
マーガレット。
そして、
なぜか母が育てていた植物たち。
オンシジウム。
月下美人。
クジャクサボテン。
「懐かしいなぁ」
その一言で、
胸の奥がぎゅっとなった。
気づけば、春の準備
気づけば、
虫よけの話はどこかへ行っていた。
玄関まわりに置く鉢のことを考え、
外壁の色に合う鉢を想像し、
バラは「悠久の約束」で決まり。
クレマチスは、
オベリスクでうねうねと這わせる前提になっていた。
完全に、
春の準備が始まっていた。
本来の目的
本来の目的は、
美化でもなく、
おしゃれでもなく、
「蚊に刺されないこと」だったはずだ。
それなのに、
気づけば僕は、
また花の名前を呼び、
春の景色を思い浮かべていた。
虫よけは、後回しになった。
でも、それは逃げたわけじゃない。
過去に育てていた植物たちが、
「まだ好きだろ?」と
静かに声をかけてきただけだ。玄関に並ぶのは、
バラとクレマチス。
そして、
たぶん、これから先も増えていく草花たち。やぶ蚊対策は、
また別の方法を考えよう。それより先に、
春を迎える準備が、
もう始まってしまったのだから。

