春分の日という「境目」に思うこと

春分の日に墓参りをする男性の後ろ姿と桜の風景 「日々とぬくもり」

🕊️ 前回のお話:第140話「想定外に育ったチワワと、暮らしの設計をやり直す話」


昨日は春分の日。
思うことがあったので、書き留めておこうと思う。

春分の日

春分の日というのは、毎年やってくるけれど、どこか特別な響きを持った日だと思っている。

昼と夜の長さが同じになる日。季節の節目であり、バランスが整う「真ん中」のような日でもある。

昔から彼岸とも重なり、この世とあの世が近くなるとも言われているが、若い頃の自分には正直あまりピンときていなかった。ただの祝日、少し暖かくなる日、その程度の認識だった。

けれど、年齢を重ねるにつれて、この日が持つ意味を自分なりに感じるようになってきた。


春分の日に墓参り

今年の春分の日も、いつものように墓参りに行ってきた。

まずは母の墓へ。そしてもう一つ、自分にとって大切な場所にも足を運んだ。社会人としての自分を育ててくれた社長の墓だ。

どちらも、自分の人生にとって大きな影響を与えてくれた存在だと思っている。

特別なことを考えるわけではない。ただ静かに手を合わせる。それだけの時間なのに、不思議と心が整っていく感覚がある。

墓の前に立っていると、時間の流れが少しだけゆっくりになる気がする。
風の音や、遠くの気配に意識が向いて、普段は気にも留めないようなものが、自然と目に入ってくる。

何か特別なことが起きるわけではない。
それでも、こういう時間の中にいると、自分が「今ここ」に立っているという感覚が、少しだけはっきりする。

日々の生活の中では、どうしても前に進むことばかりに意識が向いてしまう。仕事、目標、やるべきこと。気がつけば「次へ、次へ」と進み続けている。

だからこそ、こうして立ち止まる時間が必要なのかもしれない。


今、ここ

春分の日というのは、単なる季節の節目ではなく、「今の自分がどこにいるのか」を確認する日なのではないか。そんなふうに思うようになった。

進みすぎていないか。立ち止まりすぎていないか。どこか偏っていないか。

昼と夜が同じになるように、自分の中のバランスも整える。

そんな日にふと、思い出す言葉がある。

小学校の卒業のとき、校長先生から一枚の色紙をもらった。「今、ここ」と書かれた言葉だった。

卒業する児童一人ひとりに違う言葉を贈ってくれたらしいが、自分にとってはこの言葉がずっとどこかに残っている。

気がつけば、この言葉と一緒に歩いてきたような気もする。

過去でも未来でもなく、「今、ここ」に立つこと。

それは簡単なようで、意外と難しい。

だからこそ、こういう日があることで、少しだけ立ち戻ることができるのかもしれない。


あとがき

春分の日というのは、自分にとってただの祝日ではなく、静かに立ち止まるための日になっている。

母の墓、そして社長の墓に足を運び、何かを考えるわけでもなく、ただ手を合わせる。その時間の中で、自分の現在地を確かめているような気がする。

そして、この日にはもう一つ、自分にとって特別な意味がある。

そのことについては、また改めて書こうと思う。

📘 次のお話:第142話「誕生日と命日が同じということ」


プロフィール
こんにちは、自由きままなライフログを書いている おぷっぷ です。

家族として迎えたチワワの「オペラ」と過ごす日々を中心に、 日常のささやかな出来事や感じたことを “そのままの言葉で” ゆるやかに綴っています。

オペラはまだ赤ちゃんで甘えん坊。 ふっとした仕草や表情に、あたたかさを感じる毎日です。 そんな小さな相棒と過ごす時間は、季節の移ろいをしみじみと実感させてくれます。

このブログでは、
・オペラとの何気ない日常
・心がふっと動いた瞬間
・飼い主として学んだこと、悩んだこと
・生活の中で見つけた小さな喜び
などを文章と写真で記録しています。

“note to self(自分への小さなメモ)” のように、 未来の自分がふと振り返ったとき、 温かい気持ちになれるページを残したい。

そんな気持ちで、ゆるく書いています。 どうぞ気軽に読んでいってくださいね。
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