バイクという存在

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教習所を卒業したあとに感じた空虚感

大型自動二輪の免許を取得してホッとしたはずなのに、なぜか感じた空虚感。その理由を考えてみると、学生時代の卒業と同じ感覚でした。教習所という特別な場所について振り返ったライフログ記事。
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58歳、バイク欲しい…ほとんどビョーキだ

58歳になって、なぜかバイクのことばかり考えてしまう日々。CB250RやMT-25など候補を眺めながら、久しぶりに味わうワクワク感。大人になってからの「バイク欲しいビョー」を軽やかに綴ったライフログ。
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免許に刻まれた数文字と、4,200円の現実

大型自動二輪免許を取得後、免許センターで追加手続き。試験免除なのに「試験手数料」?表示と実態のズレに感じた小さな違和感と、免許に刻まれた数文字の重みを綴ります。
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ナナハン世代の内なる会議

大型自動二輪に合格した帰り道、ナナハン世代の夢と現実が脳内で衝突する。憧れと未熟さの自覚の間で揺れる内なる会議を、コミカルに綴ったライフログ第114話。
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卒検当日 ― 完璧ではない合格

大型自動二輪の卒検当日。坂道発進とクランクで2度のニュートラルエンスト。それでも合格。一本橋や波状路の失格条件、試験官の雰囲気、実際の流れと合格後の本音をリアルに記録。
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大型自動二輪卒検前夜 ― ワクワクしているのに、静かだ

大型自動二輪教習、いよいよ卒検前夜。かつては試験前に身震いしていた自分が、今回は不思議なほど落ち着いている。焦りはない。あるのは静かなワクワク。積み上げてきた時間が心を整えてくれた夜の記録。
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技術ではなく、視点が繋がった日

大型自動二輪教習ラスト4時間。一本橋や急制動が繋がっただけではなかった。30kmきっちり?右折位置はOK?気づけば“卒検脳”になっていた自分。本当に整ったのは技術ではなく視点だった。
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教官は、やさしい兄貴だった

大型自動二輪教習で出会った13人の教官たち。褒めて伸ばす若手、背中で語るベテラン、一本橋で檄を飛ばす兄貴分。減点者だった存在が、いつしか“兄貴”になっていた記録。
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波状路 ― なぜか、できた。そして音で目が覚めた

大型自動二輪教習の波状路課題。なぜか恐怖心はなく通過できたが、本質は別にあった。教官の澄んだアクセル音を聞いた瞬間、段差を越える種目ではなく“リズムを奏でる課題”だと気づいた日の記録。
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急制動は、危険回避の練習じゃなかった

大型自動二輪教習の急制動。危険回避の練習だと思っていたが、教官の見本走行で誤解が解けた。速度を正確に作り、安定して止まる再現性こそ本質だった日の記録。