🕊️ 前回のお話:第143話「コーヒーのある日常に戻る」
昨日は誕生日だった。
とはいえ、特に何か特別なことがあったわけでもない。
夕食のあとに、さくらラテとバウムケーキ、それにいちごを少し。
あまりんと、たまひめ。名前だけはやたらと立派だ。
まあ、ほぼいつも通りの日常である。
実は、誕生日の前日や当日、妻は「どこか出かける?どこかで食事でもする?」と気遣ってくれていた。
それでも、なんとなく外に出る気分にはならず、結局は家で過ごすことにした。
妻と、オペラと、文鳥と。
いつもの場所で、いつもの時間をゆっくり過ごす。
特別なことは何もなかったけれど、こうして気にかけてくれる人がいること自体が、十分にありがたいことだ!
四捨五入で60歳という雑さ
そんな中で、ひとつだけ印象に残っていることがある。
妻に言われた一言だ。
「60歳だね、おめでとう!」
いやいや、待ってほしい。
59歳である。
確かに、四捨五入すれば60歳なのかもしれない。
でも実際にはまだ59歳なのだ。
この“まだ”に、ちょっとした抵抗がある。
四捨五入というのは便利なようで、なかなか乱暴な考え方だと思う。
1歳の差を一瞬でなかったことにしてしまうのだから。
他人事だった還暦
とはいえ、その一言で、これまでどこか他人事だった「還暦」という言葉が、急に現実味を帯びてきたのも事実だ。
あと1年で60歳。
言葉にすると、なんだか不思議な感じがする。
子どもの頃の記憶の中では、60歳といえば、かなりの“お爺さん”という印象だった。
赤いちゃんちゃんこを着て、お祝いされている姿が、なんとなく頭に浮かぶ。
では今の自分はどうか。
正直なところ、そこまで年を取ったという実感はない。
むしろ、周りと比べても見た目は若いほうじゃないか、なんて勝手に思っている。
まあ、これは完全に自分目線の話であって、客観的にどう見えているかはわからない。
もしかすると、今の子どもたちから見れば、自分も十分に“お爺さん”のカテゴリーに入っているのかもしれない。
そう考えると、少し面白い。
自分の中の感覚と、周りから見える姿には、どうやらズレがあるらしい。
でも、そのズレも含めて、今の自分なんだろうと思う。
年齢というのは、ただ数字として積み重なっていくだけのものなのに、そこにいろいろな意味を乗せてしまう。
還暦という言葉ひとつで、急に区切りのようなものを感じてしまうのも、そのせいなのかもしれない。
あとがき
59歳になった。
来年になれば60歳。
それだけの話なのだけれど、その“1年”の重みを、少しだけ意識するようになった気がする。
とはいえ、やることは変わらない。
コーヒーを淹れて、いつもの日常を過ごしていく。
結局のところ、自分にできるのは、「今、ここ」にいることだけなのだと思う。
そう考えると、59歳でも60歳でも、あまり変わらないのかもしれない。

