🕊️ 前回のお話:第112話「大型自動二輪卒検前夜 ― ワクワクしているのに、静かだ」
朝、目が覚めた瞬間、ふと口から出た。
「今日は卒検を体験する日。」
自分に言い聞かせた。
あえて、合格する日にはしなかった。
受かってもいい。
落ちてもいい。
落ちたら、もう一度受ければいいだけだ。
不思議と肩に力は入っていない。
ヘルメット、グローブ、シューズ、予約券、筆記用具。
何度も確認する。
忘れ物はない。
心も乱れていない。
余裕を持って家を出た。
朝の渋滞にもはまったが、焦りはなかった。想定内だ。
集合時間の30分前に到着し、近くのコンビニでコーヒーを買う。
紙コップを両手で包みながら、空を見上げた。
静かだ。
ワクワクしているのに、静かだった。
朝の説明と、二度のニュートラル
集合教室で試験官が説明を始める。
「卒検ではニュートラルに入って慌てる人が結構います。でも、落ち着いて再始動すれば問題ありません。ただし、一本橋と波状路でのエンスト、足つきは失格です。」
ニュートラル?
教習中、一度も入ったことがない。
今日に限って、なぜそんな話をするのだろう。
軽く聞き流した。
コースへ向かう途中、今日の試験官の顔を見て思ってしまった。
あ、今日は合格したい。
相性がいい。
この人なら大丈夫。
「今日合格しないで、いつ合格する?」
一瞬よぎったその考えが、あとでじわりと効いてくる。
いよいよ本番。
いつものように乗車し、エンジンをかけ、発進。
坂道発進も問題なくこなす。
よし、いける。
2速に上げようとした瞬間。
ストン。
音が抜ける。
ニュートラル。
エンスト。
一拍、時間が止まる。
朝の説明がよぎる。
落ち着け。再始動すれば続行できる。
セルを押す。
エンジンがかかる。
安全確認をして再スタート。
なんとか周回を終え、課題コースへ。
スラローム、S字、波状路。
大きな乱れはない。
そして一本橋。
乗り上げた瞬間、わずかな違和感を感じた。
いつもより、軽い。
いや、身体が固いのか。
左に傾く。
まずい。
フラつきながらも前輪が抜ける。
後輪もなんとか通過。
9秒台。
基準は超えている。
だが、余裕はない。
急制動は問題なく止まれた。
最後のクランク。
低速で旋回しているとき。
また、ストン。
ニュートラル。
エンスト。
参った。
普段の教習ではなかったことが、今日に限って起きる。
一瞬、言い訳が頭をよぎる。
教習車の個体差か?
いや、違う。
ただの未熟さだ。
再始動し、最後まで走り切る。
発着点に戻った瞬間、思った。
今日は落ちたかもしれない。
焦りはない。
ただ、淡々とした感覚だけがあった。
総評は一言だった。
「ニーグリップができていませんね。それに尽きます。」
核心だった。
うまくやって見せようとした。
相性がいいから大丈夫だと、どこかで思っていた。
基礎が沁み込んでいない。
卒検は、派手な上手さを見る試験ではない。
基礎が崩れないかを見る試験だ。
その意味を、ようやく理解した。
静かな合格
11時30分。
合格者は教室に呼ばれる。
待機時間、脳内で反省会が始まる。
ニュートラル、二回。
一本橋、フラフラ。
自分の中では、合格ラインに届いていない感覚だった。
教官が口を開く。
「この教室にいる皆さんは、合格です。」
一瞬、意味が遅れて届く。
嬉しさは爆発しなかった。
完璧ではない。
胸を張れる走りでもない。
それでも、合格。
きっと求められていたのは、完璧さではない。
危険がないこと。
最低基準を下回らないこと。
それが卒検なのだろう。
外に出ると、朝と同じ空気が流れていた。
帰り道、車を運転しながら考える。
大型に乗れる資格を得た。
でも、本当に操れるのか。
合格はした。
だが、それは「上手い」の証明ではない。
教習所を卒業したというだけのこと。
スタートラインに立ったというだけだ。
妻にメッセージを送る。
「合格したよ。ありがとう。」
大型に乗れる。
でも、まだ未熟だ。
それをはっきり自覚できたこと。
それが、今日一番の収穫だった。

