🕊️ 前回のお話:第276話「iMacからMac miniへ。仕事道具を選び直した」
とあるYouTubeショート動画が流れてきた。
タイトルは、
【旦那が14年間出し続けた「指示」。最後だけは違いました。】
白いチワワと、飼い主の男性。
14年間、毎日のように交わされてきた言葉があった。
「おいで」
「よし」
「待て」
どれも、犬と暮らしていれば珍しくない言葉だと思う。
ところが、その動画のタイトルにあった、
「14年間出し続けた指示」
という表現が、僕の中に強く残った。
感動的な内容だった。
最後には、胸が詰まった。
それでも僕は、なぜか「指示」という言葉に少し引っかかってしまった。
「指示」という言葉が苦手だった
犬と暮らすうえで、指示やコマンドが大切なのは理解している。
「待て」
「おいで」
「離して」
「止まって」
危険を避けるために必要な場面は、いくらでもある。
オペラ自身を守る。
僕たち家族を守る。
散歩中に出会う人や犬を守る。
まったく縁もゆかりもない誰かまで含めて、安全に過ごすためには、必要な合図を覚えてもらわなければならない。
頭では分かっている。
それでも僕の中には、
指示することは、従わせること。
そんなイメージがあった。
人間が上。
犬が下。
人間の都合に合わせて、犬を動かす。
どこかに、そんな主従関係を感じてしまう。
だから僕は、できることなら、細かな指示を出さなくても成り立つ関係を望んでいたのだと思う。
完全な机上の空論なのだけれど。
怖がらせて動かす関係にはしたくない
僕は、恐怖で相手を動かすことが苦手だ。
強い口調で命令する。
失敗したら叱る。
相手が顔色をうかがい、間違えないように行動する。
そんな関係を、オペラとの間に作りたくない。
僕自身が、恐怖のある環境で萎縮した経験がある。
何かを言えば怒られるのではないか。
失敗したら責められるのではないか。
そう思うと、自分の考えを出せなくなる。
ただ、相手の機嫌を損ねないように動くようになる。
そして美容師時代。
今度は僕自身が上司という立場になり、スタッフを萎縮させる側へ回ってしまったこともある。
当時の僕は、仕事を良くしたいと思っていた。
成長してほしいとも思っていた。
でも、思いが強すぎたのだろう。
伝え方や空気の作り方によっては、それが指導ではなく、恐怖になってしまう。
今なら少し分かる。
だからこそ、オペラに対してまで、
怖がらせて従わせる関係にはしたくない。
その気持ちが、強かったのだと思う。
もしかして、僕は「甘い飼い主」なのか
妻からは時々、
「やっぱり甘い」
と言われる(笑)。
たしかに僕は、オペラが嫌がることを無理にさせるのが苦手だ。
強い口調で止めることも苦手。
できなかったとしても、
「まぁ、今日はいいか」
と流してしまうことがある。
叱って萎縮させるくらいなら、少しくらいできなくてもいい。
そんな気持ちが、どこかにあった。
でも今回の動画を見て、少し違う角度から考えるようになった。
もしかすると僕は、
オペラを尊重したかったのではなく、指示することから逃げていただけなのではないか。
そんな疑問が浮かんだ。
厳しくしたくない。
嫌われたくない。
悲しそうな顔を見たくない。
その気持ちを「優しさ」と呼んでいただけで、本当は飼い主として必要な役割を避けていたのかもしれない。
指示をしないことが、優しさとは限らない
オペラがケガをする。
オペラが、誰かへケガをさせてしまう。
道路へ飛び出す。
危険なものを口へ入れる。
知らない犬や人へ近づきすぎる。
そんな時、
「自由を尊重したかった」
では済まない。
オペラを守る責任は、僕たちにある。
誰かを傷つけてしまえば、その人には外傷だけでなく、心の傷も残るかもしれない。
それまで犬が好きだった人が、犬を怖がるようになる可能性だってある。
その時になって、
「指示するのがかわいそうだったから」
とは言えない。
何も教えないことが、必ずしも優しさになるわけではない。
むしろ、必要なことを教えなかった結果、オペラの行動できる場所や経験を減らしてしまうこともある。
呼び戻しができる。
危険な場所で止まれる。
口にしたものを離せる。
興奮した時に、こちらへ意識を戻せる。
それができれば、安心して行ける場所も増える。
オペラの自由を奪うための合図ではなく、
オペラの自由を守るための合図。
そう考えたら、少し見え方が変わった。
「命令」ではなく、共通言語として
僕が苦手なのは、コマンドそのものではないのだと思う。
怒鳴ること。
脅すこと。
失敗を責めること。
恐怖によって、相手を思いどおりに動かすこと。
それが嫌なのだ。
でも、穏やかな声で繰り返し伝えることはできる。
できた時に、しっかり褒めることもできる。
おやつや遊びを使って、
「これをすると、うれしいことが起きる」
と覚えてもらうこともできる。
犬の意思をすべて無視する必要はない。
嫌がっている時には、その理由を考える。
体調が悪いのか。
怖いのか。
疲れているのか。
ただ気分が乗らないだけなのか。
その気持ちを見ながらも、安全に関わることは曖昧にしない。
必要なのは、上下関係を示すための命令ではなく、
一緒に暮らすための共通言語
なのかもしれない。
優しいまま、一貫する
たぶん僕は、厳しい飼い主になる必要はない。
なろうとしても、途中で心が折れると思う(笑)。
でも、優しい飼い主でいることと、その日の気分で何でも許すことは違う。
昨日は止めた。
今日は面倒だから見逃した。
明日は笑って許した。
これでは、オペラも何が正解なのか分からない。
怒鳴らなくてもいい。
怖がらせなくてもいい。
ただ、
これは毎回止める。
できたら毎回褒める。
安全に関わる場面では譲らない。
その線だけは、僕たちが一貫して示す必要がある。
妻の言う「甘い」は、きっとこの部分なのだろう(笑)。
僕に必要なのは、強さよりも、
曖昧にしない優しさ。
なのかもしれない。
最後だけ、「指示」ではなかった
動画の中で、飼い主の男性は、14年間ずっと合図を出していた。
「おいで」
「よし」
「待て」
その子は、飼い主の言葉をよく聞いていた。
けれど、最後の日。
飼い主が伝えた言葉は、いつもの指示ではなかった。
「また、パパんとこに来るんやで」
それは、従わせるための言葉ではない。
お願いだった。
願いだった。
きっと、14年間交わしてきた「おいで」の中にも、本当は同じ気持ちがあったのだと思う。
こちらへ来てほしい。
そばにいてほしい。
危険から離れてほしい。
一緒に帰りたい。
短い合図の奥には、飼い主の愛情や責任が込められていたのだろう。
動画を最後まで見て、最初に感じた「指示」という言葉への抵抗が、少しだけほどけた。
従わせたいわけじゃない
僕は、オペラを従わせたいわけではない。
芸をたくさん覚えさせたいわけでもない。
僕の都合だけで、行動を管理したいわけでもない。
できる限り、オペラの気持ちは尊重したい。
嫌なことは、嫌だと伝えてほしい。
楽しい時は、思い切り楽しんでほしい。
それでも、命を守るための合図は必要だ。
オペラ自身と、周囲の人や動物を守るために。
怖がらせずに伝える。
支配せずに守る。
優しいまま、一貫する。
簡単ではないと思う。
たぶん、僕にとっては苦手な分野でもある。
でも、これは試練というほど大袈裟なものではなく、
飼い主として、これから覚えていくことの一つ
なのだろう。
指示を出すことに、まだ少し抵抗はある。
それでも今は、
「待って」
「離して」
「おいで」
という言葉を、命令ではなく、オペラと僕たちをつなぐ合図として使っていきたいと思っている。
いつか僕が呼んだ時、オペラがこちらを見て、楽しそうに駆け寄ってくる。
それは主従関係ではなく、
信頼して戻ってきてくれた姿
だと思いたい。
そのために僕は今日も、甘さを少しだけ残しながら、オペラへ合図を伝えていく。
たぶん妻には、
「やっぱり甘い」
と言われるのだろうけれど(笑)。

