墓前で、少しだけ続きを話した

お盆の墓参りで亡き母の墓前に立ち、感謝と謝罪の言葉を心の中で伝える59歳の男性 「日々とぬくもり」

🕊️ 前回のお話:第284話「オペラが泣いた日。いや、謝ったのは僕だった」


少し早いが、今年も、
お盆のお墓参りへ行ってきた。

特別な出来事があったわけではない。

何か不思議なことが起きたわけでもない。

ただ、墓前に立って手を合わせた時、

少しだけ、母と続きを話せた気がした


何回忌でもない年

母は、2023年に27回忌を迎えた。

次の大きな節目は、2029年の33回忌になる。

だから今年、2026年は何か特別な回忌というわけではない。

そして我が家では、17回忌以降、お坊さんを呼んでの法要は行っていない。

父は、

「もう十分だよ」

という考えだ。

僕も、頭ではそれでいいと思っている。

むしろ、

形だけの法要をすることより、日頃から思い出して手を合わせることの方が大切なんじゃないか

と思っている。

それなのに、

なぜか少しだけ引っかかる。

「本当にこれでいいのかな」

という気持ちが、どこかに残っている。


供養に、正解ってあるんだろうか

法要を続けることが正しい。

続けないことが間違い。

そんな単純な話ではないと思っている。

お坊さんを呼んで読経してもらうことにも、もちろん意味はある。

家族が集まって故人を思い出す時間にも、意味がある。

でも僕自身は、

命日だけ。

お盆だけ。

法要の日だけ。

そういう時だけ思い出すよりも、

何でもない日にふと思い出したり、

「今、どうしてるかな」

と心の中で話しかけたりする方が、

自分には合っている気がする。

そう思っているのに、

法要をしていないことが少し気になる。

我ながら矛盾している(笑)。


今年は、いつもと少し違った

今回のお墓参りでは、

いつもより少し長く、母に話をした。

まずは、

ありがとう

「産んでくれてありがとう」

「見守ってくれてありがとう」

そんなことを伝えた。

そして、

近況も少し。

「僕は元気にやってるよ」

「まあ、いろいろ悩むこともあるけどね」

そんな、どうでもいいような話もした。

生きていた頃なら、

「またそんなこと考えてるの?」

くらい言われたかもしれない(笑)。


ずっと残っていたこと

そして今回、

母との間に、

僕の中でずっと終わっていなかったことについても話した。

詳しいことは、ここには書かない。

ただ、

長い間、自分の中に残っていたことがある。

そのことについて、

「あの時はごめんなさい」

と伝えた。

でも同時に、

あの時の僕には、ああする以外の方法が見つからなかった

とも伝えた。

言い訳をしたかったわけではない。

自分は悪くなかったと言いたかったわけでもない。

ただ、

当時の自分なりに必死だったこと。

あの時は、ほかのやり方が見えなかったこと。

それも含めて、

ちゃんと話しておきたかった。


「ごめんなさい」と「でも」

昔の僕なら、

「謝るなら、言い訳するな」

と思ったかもしれない。

でも今は、

少し違う。

「あの時はごめんなさい」

と、

「あの時の僕には、あれしかできなかった」

は、

両方あっていい気がしている。

謝ることと、

過去の自分を理解することは、

同じ場所にあってもいい。

そう思えるまでに、

ずいぶん時間がかかった。

今回、墓前で言葉にできたことで、

全部ではないけれど、

何か一つ、清算できたような感覚があった


向こうでは、穏やかに

最後に、

「向こうでは、穏やかに過ごしていてね」

と伝えた。

母が今どこにいるのか。

そもそも、死んだ後に何があるのか。

僕には分からない。

それでも、

穏やかでいてほしいと思う。

それくらいは願ってもいいだろう。

そして、

もし本当にどこかから見ているのなら、

「まあ、なんとかやってるよ」

くらいは伝わっていたらいい。


矛盾したままでいいのかもしれない

お墓参りから帰ってきても、

法要をしていないことへの引っかかりが、

完全になくなったわけではない。

「形式より気持ちが大切」

そう思う自分がいる。

でも、

「ちゃんとやった方がいいんじゃないか」

と思う自分もいる。

たぶん、

どちらかを消さなくてもいいのだと思う。

人生って、

こういう矛盾の中で生きていることの方が多いのかもしれない。


今の僕にできる供養

感謝したい時に、

ありがとうと言う。

謝りたいことがあれば、

ごめんなさいと言う。

思い出した時には、

心の中で話しかける。

そして、

お盆には墓前へ行く。

今の僕には、

それが一番自然なのかもしれない。

今回のお墓参りで、

何か大きな答えが出たわけではない。

でも、

長い間、自分の中に残っていたことの一部を、

母に話すことができた。

それだけで、

少し軽くなった気がする。

今年も来たよ。

僕は、なんとかやってるよ。

そして、

ありがとう

今年のお盆は、

そんなことを伝えられた墓参りだった。


プロフィール
こんにちは、自由きままなライフログを書いている おぷっぷ です。

このブログは、今の僕の人生を言い表す言葉を置いておきます。

「山頂を目指す登山ではなく、森を歩く散策。」

目的地は決まっていない。

ただ、歩く。

風の音に耳を澄ませ、

鳥のさえずりに足を止め、

足元に咲く小さな花を見つける。

昨日は気づかなかった景色が、

今日はなぜか心に残る。

昔の足跡を見つけては、

「あの頃の自分は、ここを歩いていたんだな。」

と、静かに微笑む。

歩くたびに森の景色は少しずつ変わり、

歩くたびに自分も少しずつ変わっている。

だから、同じ道でも、

いつも新しい発見がある。

人生は、

山頂を目指して競い合うものではなく、

自分だけの森を歩きながら、
出会った景色を味わう旅なのかもしれない。

そして、このブログは――

人生という森を歩いて見つけた、小さな景色を残す備忘録。

未来の自分へ。

そして、いつか家族がこの森を歩く日が来たなら、

「あぁ、この人はこんな景色を見ながら生きていたんだ。」

そんなことが少しでも伝わったら、

それだけで十分。
ライフログ「日々とぬくもり」
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