ほぼミルクのコーヒーとトースト浸し — 僕の原点は“ネッスルの朝”

コーヒーのある時間

🕊️ 前回のお話:第1話「喫茶カトレアで聴いたジャズと、クリームソーダの記憶」


家の中で一番コーヒーの香りがする時間、それは朝だった。
母が黒いラベルの瓶を開けると、カチッと音がして、
「ああ今日も始まるんだな」って思う。
僕の子ども時代の“モーニングコール”は、目覚ましでも鳥の声でもなく、
ネッスルの香りだった。


☕黒い瓶と白い粉のゴールデンコンビ

要約: ネッスルとクリープの登場が、我が家の朝を支配していた。

母はインスタントコーヒーを「ネッスル」と呼んでいた。
当時はそれが普通の呼び方で、「ネスレ」なんて言い方はしてなかった。
(いまは世界共通で“ネスレ”らしいけど、昭和の空気の中では“ネッスル”がしっくりくるのよね。)

瓶のフタを開けて、スプーン一杯すくってカップへ。
そこに白砂糖を二杯、クリープを一杯。

「今日はブラックよ」と言いつつ、僕のカップはなぜか“ほぼミルク”。
甘いミルクコーヒーにトーストをサッと浸して、
口に放り込むのが当時の定番。
いま思えば、朝の味覚も昭和らしい“手早い幸福”だったなぁ。


🍶母のドリップは“見よう見まねの芸術”

要約: 形式じゃなく感覚で淹れる母のコーヒーが、なぜか一番うまかった。

ある日、母がスーパーの実演販売でハンドドリップセットを買ってきた。
「これ、お兄さんが上手に淹れててねぇ」と、うれしそうに話していた。

ところが、家で淹れてみるとペーパーがズレてお湯が横漏れ。
それでも香りはちゃんと美味しかった。
母は「失敗した」と言いながら、
なぜかその失敗作が一番うまい。

たぶん、“味”じゃなく“空気”を淹れていたんだろう。
あのときの御勝手(今で言うリビング)の空気の柔らかさ、いまだに覚えている。


☕僕の初ドリップと小さな反逆

要約: 見よう見まねで挑戦した、少年おぷっぷの“はじめての成功”。

中一のある夜、母の留守中にこっそりドリップした。
見よう見まねの自己流。
お湯の注ぎ方なんて知らないのに、
「母の手首の角度ってこんな感じだったかな」と真似しながら。

結果、なぜかちゃんと美味しくできた。
母に報告すると「ふ〜ん」とだけ。
でも翌朝のコーヒーがいつもより丁寧に淹れられてたのを、
僕はしっかり見てた。


☕味よりも、あの“間”を受け継いで

コーヒーって、味の前に“間”がある。
お湯を注ぐ静かな時間、
立ちのぼる湯気を眺める余白、
その中で心が整う感じ。

母のドリップは、たぶんその“間”の美学だった。
僕の何気ないしぐさや人生においても
その“間”を大切にしている気がする。


💬共感のひとこと

あの頃のネッスルの香り、今も心のどこかで湯気を立ててる。


📘 次のお話:第3話「静かな炎に映る少年の足音」

プロフィール
こんにちは、自由きままなライフログを書いている おぷっぷ です。

このブログは、今の僕の人生を言い表す言葉を置いておきます。

「山頂を目指す登山ではなく、森を歩く散策。」

目的地は決まっていない。

ただ、歩く。

風の音に耳を澄ませ、

鳥のさえずりに足を止め、

足元に咲く小さな花を見つける。

昨日は気づかなかった景色が、

今日はなぜか心に残る。

昔の足跡を見つけては、

「あの頃の自分は、ここを歩いていたんだな。」

と、静かに微笑む。

歩くたびに森の景色は少しずつ変わり、

歩くたびに自分も少しずつ変わっている。

だから、同じ道でも、

いつも新しい発見がある。

人生は、

山頂を目指して競い合うものではなく、

自分だけの森を歩きながら、
出会った景色を味わう旅なのかもしれない。

そして、このブログは――

人生という森を歩いて見つけた、小さな景色を残す備忘録。

未来の自分へ。

そして、いつか家族がこの森を歩く日が来たなら、

「あぁ、この人はこんな景色を見ながら生きていたんだ。」

そんなことが少しでも伝わったら、

それだけで十分。
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