🕊️ 前回のお話:第257話「「何でもいい。」が、一番難しかった話。」
最近、自分自身のことで、小さな発見があった。
「そんなこと、59歳にもなって今さら?」
そう思われるかもしれない。
でも、本人にとっては結構な衝撃だった。
僕は昔から、
人の話を聞くのが苦手なんだ。
そう思い込んでいた。
中学二年生。
数学の授業だった。
前半は方程式のおさらい。
「ここは理解できている。」
そんな感覚だった。
だからなのか……
先生の声は聞こえている。
でも、頭の中では別のことを考えていた。
身体は教室にいる。
心はどこか違う場所へ出掛けていた。
その時だった。
先生が言った。
「ここで方程式は終わりです。」
「次は図形の証明に入ります。頭を切り替えてください。」
不思議なことに、この言葉だけは今でも鮮明に覚えている。
でも、その後の授業は何一つ思い出せない。
チャイムが鳴った。
先生は教科書を閉じながら言った。
「今日はここまで。しっかり復習しておくように。」
僕の頭の中は真っ白だった。
「えっ……何を習ったんだっけ?」
家に帰って教科書を開く。
三角形。
補助線。
合同条件。
「△ABC≡△DEFを証明しなさい。」
……
いや、無理(笑)。
どこから考え始めればいいのかさえ分からない。
その日以来、
図形の証明は最後まで苦手だった。
図形の証明だけ、テストでは潔く白紙。
今思えば、あの頃から開き直る才能だけはあったのかもしれない(笑)。
大人になっても似たようなことがある。
妻によく言われる。
「聞いてる?」
「聞いてないでしょ?」
夫婦あるあるかもしれない。
妻からすると、
「どうでもいいことは覚えてるよね?」
「肝心なことは、どこへ行っちゃうの?」
そんな感じらしい。
いやいや。
僕からすると、
どうでもいい話じゃないんだ。
結構、大事なことだったりする(笑)。
だから余計に困る。
一方で、不思議なこともある。
美容師時代のお客様のことは、今でもよく覚えている。
名前を暗記したことなんて一度もない。
でも、
「娘さんが来年受験なんです。」
「ご主人が転勤になって。」
「今度、北海道へ旅行へ行くんですよ。」
そんな会話は自然と残っている。
前回どんな髪型にしたのか。
いつもより少し短めに切ったこと。
仕上げで鏡を見ながら嬉しそうに笑ったこと。
そんな景色まで思い出せる。
歌もそうだった。
高校生の頃は洋楽ばかり聴いていた。
HR/HMが大好きで、歌詞なんてほとんど気にしていなかった。
もちろん、日本の歌も聞いていた。
でも、
歌詞は耳を通り過ぎていく。
ところが最近。
歌詞を読みながら音楽を聴くようになった。
すると、
驚くほど情景が浮かぶ。
主人公の気持ち。
その場の空気。
言葉に込められた余韻。
竹内まりやさんの『駅』を聴いた時もそうだった。
最後の
「La La La…」
ただの鼻歌じゃない。
あの続きを、あえて歌わなかった理由まで考えてしまう。
日本語って、本当に美しい。
そう思えるようになった。
そんなことを考えていたある日。
ふと思った。
もしかして僕は、
聞くことが苦手なんじゃない。
違うんじゃないか。
耳から入ってくる情報。
それだけでは、
僕の中を通り過ぎてしまう。
でも、
その人がなぜその言葉を選んだのか。
どんな気持ちだったのか。
どんな景色が見えていたのか。
そこまで想像できた瞬間、
初めて頭の中へ入ってくる。
創業社長が20代の頃に話してくれたこと。
あの頃も聞いていた。
でも、
本当の意味では聴いていなかった。
59歳になった今、
仕事を経験し、
部下を持ち、
家庭を持ち、
ようやく、
「あぁ……あの時、社長はこういうことを言いたかったのか。」
そう思うことが増えてきた。
そう考えると、
美容師時代も同じだった。
僕は髪を切る前に、
お客様の話をよく聴いていた。
「今日はどうされますか?」
という質問に対する答えだけを求めていたわけじゃない。
仕事で何があったのか。
家族は元気なのか。
何か嬉しいことがあったのか。
逆に、何かあったのか。
その人を知ろうとしていた。
だから、
名前を覚えようとしなくても、
自然と覚えていたのかもしれない。
そういえば、
「聴く」という漢字。
耳と、
十四の心と書く。
初めて知った時、
妙に納得した。
僕は今でも、
妻に言われる。
「聞いてる?」
そのたびに、
「聞いてるよ。」
と答える。
すると、
「じゃあ、さっき何て言った?」
と返ってくる。
……
そこは弱い(笑)。
でも最近は、
少しだけ思う。
僕は聞くのが苦手なんじゃない。
もしかすると、
聴こうとし過ぎる人なのかもしれない。
言葉だけじゃなく、
その奥にあるものまで受け取ろうとしてしまう。
だから、
耳だけで流れてくる情報は、
時々どこかへ行ってしまう。
もちろん、
これは僕の勝手な解釈だ。
心理学的に正しいのかは分からない。
でも、
59歳になって、
また一つだけ、
自分の取扱説明書が増えた気がしている。
そして今日も、
妻に言われる。
「ねぇ、聞いてる?」
僕は笑いながら答える。
「うん。」
「ちゃんと……
聴いてるよ。」
……
たぶん、
妻が求めている答えは、
そこじゃないんだけどね(笑)。

